60年代の青春
上の絵は1967年頃の湘南海岸、、後に女子高生から
< ワタシの清らかな純潔を、ムリヤリ奪った、>なんて
訴えられる以前のシンガーソングライター&俳優だった
荒木一郎と清純派女優の梓英子だ<荒木の暴行事件は後に不起訴となる>
いいなあ~ 日本がまだ 今のように汚れてしまう前の
古き良き時代の青春が、ここにある、オレはこの時代に
青春を送るには、すこし遅かったが、代わりに70年代の
シラケ世代と言われた、退屈な青春を、たっぷり送った
かんな、その頃の代表選手が、フォーク歌手の、、
吉田拓郎や、ファッションモデルから転身した俳優の
草刈正雄なんだ、今じゃ彼は立派な、ジーさん俳優だ
オレも年を取るはずよ
今日は、昨日までの、木畜シリーズを中断して、勝手に
ノスタルジーに浸っかんな、、、で、なんで最近のオレは
こんなに過去の良かった時代の思い出にばかり浸ってん
のかというと、、それは今年に入ってからフィリピンの、
オキニには男ができてパイレーオになってしまうし、長年、
我家に務めたメイドのリサベルは、<もうこれ以上、ボスの
家にいたら30歳になって男に打ち込まれるチャンスを逃して
しまう、>ということでメイドを止めてしまって、代わりに、、
バアサン二人を雇って今度は新しく打ち込んでくれる男を
探す必要はないんでホッとしたら、突然、習近平が世界に
発送したウイルス兵器、、→コロナが世界中に蔓延して
それに乗じてフィリピンを完全独裁政権、、テメエの思う
ままにしようとするドテルテによって、オレが長年打ち込み
いや愛してきたゴーゴーバーは、全部閉鎖となってしまい
ヤリがい、いや生きがいを失ったオレはあの1930年代の
ヨーロッパにおけるユダヤ人のように、もう老後はここで
新しいオキニをみつけて、毎晩お医者さんごっこをヤッテ
5年後辺りに、目出度くタイレーオ,,になるはずが、こんな
異邦人になったカンボジアで、空しく過去の栄光の日々を
思い浮かべて過ごす日々を送ってんだ、もう毎晩抱きしめる
実体、は無くなったが、今まで過去の打ち込みの数々に
おける妄想いや追想のファイルは、オレはデカいぞ、ただし
あのキャピトルにおける小●氏、およびジュライにおける
岡●氏のような<○○年、○○日、名前#$%、年齢#
体位、回数、粘膜の具合、、$RTYUI>などという克明な
メモと言うんは オレは記録しなかったので、すべてはこの
記憶という、美しいメモリー頭脳の中出し、いや中だけな
んだ、、これの方がマトモだよな、、まあ目クソと鼻クソだが
というわけで、何度も言うが、オレは姉がうらやましいんだ
彼女のように60年代のド真ん中に、20歳の青春を迎えて
京都の●坊短期大学という、お嬢さん嫁入り学校へ通って
ど~せ故郷に帰れば、親からイイ所のボンボン息子なんか
に見合いさせられる<それが1960年代の田舎いや地方の
スタンダード>なもんで、京都の短大にいるうちに、毎日
校門の前には 外車の送り迎え、のプレイボーイたちと
デートの繰り返し、、、オレも最近、父母の墓参の際に、
知らされるまでは50年前、姉の京都の大学生活と言う
のが、上の絵の荒木一郎みたいに、けっこう遊んでいた
と、いうことを知らなかったんだ、何しろ今まで、オレは
暗いシラケた青春を、打ち込みで挽回しようと、バブル前
親から貰ったカネ全部持って、バンコクジュライホテルへ
出奔し、それからの30年は、もう言わなくてもいいよな
という打ち込み型、挽回人生をヤッテ来たからな、その
結果がコロナでは、オレの人生、語るに落ちたよな
# いつかはフィリピンへ、その為にはオキニを探してくれる
オレが雇ったバーを止めた女たち<ママさん役>二人に
生活費支援を続けんとな、、だってここシュムリアップじゃ
毎日ホテルと、市場近くのレストランの往復で、まったく
カネの使い道がないんだ、、早くオレにフィリピンで
貧しいオンナたちへ、経済支援をさせてくれ
ナナ