一生、遊んで暮らしたい
テーマ:人生
浴室
と思って今までずっと生きてきた、幸いオレは、福島の
カネ持ちの家に生まれることができて、しかも生きた
時代がよかった、、なぜならオレの青年時代、日本が、
世界第2位の経済大国になった時代で、、、、
というのも、昔の話になった、昭和が平成に変わった後で
バブルが、はじけて、それから今までずっと、先が見えない
衰退が始まった、、同じ時期、日本の技術をマネて大国に
なった中国の膨張はもの凄かったのに、、、つまり世界が
豊かになって、日本は2位から15位くらいまで下がった
でオレはどうしたのかなんだが、オレが日本に合わせて
退潮しなくて済んだのは、すべてジュライホテルのおかげ
だった、あの場所で学んだ、究極のケチ精神、カネを、、
ムダなことに使わず、ただひたすら安かったオンナにのみ
打ち込みを続ける、、という、それまで福島の生活の常識
だった、仕事を持ち、家庭を持ち、子供を持ち、家を建てて
周囲に認められる人間になって、一人前、、という価値観が
オレは根底から崩されたんだ、これをオレは<ジュライ革命>
と呼ぶ でオレは当時親からもらったカネを全部ジュライの
付近にあった泰華農民銀行に定期で預けた、なぜなら年利
10%の金利を支払うとパンフに書いてあった、
あれから30年が経った、その後、タイ経済はアジア通貨危機
を迎えて、投資先はカンボジアやフィリピンに移ったがオレの
やり方は変わっていない、、株や、今なら仮想通貨なんかで
一発で巨大な利益を得ようとする、バクチにはオレは手を
出さなじゃった、、しかし一度だけ、、あの通貨危機後、
タイがIMF管理下にあった時代、オレは、その後やった
カンボジアに投資先を移さず、そのままタイに置いて、
ただし預金の金利は低くなったので、代わりに当時今の
20分の一だった金を買う、ということをオレは考えた
あの時、それをやっていれば、今のオレの資産は20億を
超えていたはずだ、、なぜそうしなかったのか?それが
オレらしいんだ、、情けないがスワイパーのオンナたちの
微笑みが、オレをカネをプノンペンに引き寄せたんだ、
といっても、もちろんカネを直接オンナたちに渡したん
じゃなくて華僑の銀行に年利11%でドル預金に変えた
んだが
で、20億の夢は消えたが、代わりに今までずっとオレの
カネはドルのまま運用された、、つまりもう完全に福島の
時代の、親のカネ→円はドルに変わった、、
そして今、、1ドル=130円時代を迎えたオレはもう
日本に行くとウハウハになった、だって、アンコウ定食が
たった9ドルだかんな、、、もう20億の夢<あの時
タイで金に替えておけば、>は忘れたんだ
# 多くを望まなかったから上手くいった、でも先は暗い、
戦争が起きっかんな
ナナ
、