1992年にセブ・マクタン島に土地購入し
複数の問題に直面しながらも
家は出来上がった・・・
そしてその年の8月に再び渡セブして
台所・CR・フェンスを仕上げながら
神父を呼んで”ブレッシング”すると云う・・・
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おはようございますHamreyです
”ブレッシング”当日神父がやって来たのは
予定よりも30分近く遅れたが
フィリピン・タイムなのか・・・!?
場所が判らなかった・・・!?
損な言い訳は出来ないのは
案内係として義姪Hが一緒であった・・・
(我家トライシクルでの送迎…)
というのも教会敷地内に学校がある為に
”ブレッシング”の為として休みがもらえるらしく
案内係として行かせてあった・・・
(と云って誰も責めるハズは無い…)
出迎えは嫁が駆って出るが
ネットで拾った画像
鮮やかなオレンジ色のワンピースだったが
ビサヤ女コミニティー一員からの
支給品であった・・・
(一員のサイズアップの為…)
ネットで拾ったイラスト
”ドスコ~イ”・・・
(一員は最高値まで成長していたダカラ~…)
嫁と神父がどの様な挨拶をしたかは
聖職者に対しては同じ様なモノだろう・・・
ただ嫁が真っ先に紹介するのは
ワイと思っていたが
地域の長老だったのが少し悔しかった・・・
その後は時間の後れを取り戻す為に
早々に法衣を纏い
ネットで拾ったイラスト
お祈りの後に”聖水”を散布する・・・
(各部屋にも…)
そして家の周りにも同じ様に聖水散布だが
各ドアや窓に対して行っていた様だったが
写真は”ブレッシング”翌日
CRは3つドアがある為に念入りと思われた・・・
ワイはビデオ撮影専門だったが
家の裏手に廻った神父達は追わずに
左側で戻って来るのを待ち構えていた・・・
(そのビデオテープは段ボール箱の中…)
さて一通りの”儀式”は終了したので
お待ちかねの”お食事”となります・・・
92年8月25日(火)???
記憶では28日の金曜日のハズだが・・・!?
これは嫁が撮った写真であるが
当時はフィルムであったのと
日時設定は手動だった為と思われる・・・
(親族が弄った可能性もあるが…)
食事となって”異教徒”であるワイも
漸く同席となり神父と話が出来たが
ほぼ同年代と思われるの神父・・・
(当時ワイは35歳…)
日本の宗教関係ではいろんな制約があり
飲食物も制限されているが
このフィリピンでは無い様に思われる・・・
ただ”聖職者”という事では
”異性”に対しては厳格なようで
”子孫繁栄”は庶民の役目とされている・・・
こちら”喜寿”を過ぎた
某師facebook投稿をスクリーンショット
日本の”性殖者”
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いつものレッドホースじゃないけど
病気だろうか・・・!?